私に必要なこと
メンタルクリニックの先生は、一度ダンナも一緒に来ることを勧めた。
ダンナは自分の考えしか信じず、人に耳を貸さない。
人を小馬鹿にするだけで、人を評価しない。
ぶつぶつ言う私に、先生は
「私はご主人と喧嘩するのではありません。お願いするのです」
ダンナは心の病に同情しない。
『逃げ』だと思っている。
真面目に働いているダンナにとって、心の病で休養してる人は、ただの甘えやだらけにしか見えないようだ。
確かにそうかもしれない。
だけど、誰も好んで病気に苦しんだりなんかしない。
風邪と同じで、心も『栄養と休養』が必要だ。
身体変化
梅雨頃に喘息の検査をする時、病院で身長を測ったら、中3で完全に止まったはずの身長が8㎜伸びていた。
驚いたけど、半信半疑だった。
そして先日、精神病院で身長を測ったら、やはり中3の時より8㎜伸びていた。
これで身長が伸びたことは確定だ。
最後に測ったのが24才の時だったが、中3から1㎜も伸びも縮みもしなかった。
24才で結婚し、幸せな新婚生活、楽しいパート勤務、そして妊娠、出産、育児と、目まぐるしく激動の中に今もいる。
さて、どの段階で私は伸びたのでしょうね?
実は、変化があったのは身長だけじゃない。
精神病院で体重を量った。
この夏、太った。夏に太ったのは初めてだ。
私は、健康なら夏に痩せ、冬に太る。それでバランスが取れている。
夏に太るということは、不健康だからだ。
不安を恐れ、自宅での暮らしを放棄し、実家で引きこもり気味になっている。
家事もろくに手伝わず、ゴロゴロ過ごしている。
達成感のなさや心の満たされなさを、食べることで埋めている。
ここまで動かずに食べた夏はない。
わがままな肥満である。
この秋から春はタロウの不安要素たっぷりで、きっと痩せるだろうが、あまり嬉しくない。
人付き合いと感染
ノロウイルスが大流行だ。
連日このニュースばかりで、嘔吐恐怖症の私は、甦ってしまったトラウマの数々と、この先起こるかもしれない恐怖に怯えている。
いっそ死んでしまった方が楽かもしれないとさえ思ってしまう。
もしタロウがいなかったら、ここまで怯えなかったと思う。
タロウが感染したら、もちろん看病をしなくてはならない。
タロウは具合が悪くてもぐったりせず、私に苦しみを押し付け、助けを求めてすがり付く。
自閉症特有の不安とこだわりのせいだが、これがハンパじゃない。
仕方ないと分かっているが、かわいそうと思う余裕さえ持てない。
私のような嘔吐恐怖症の人には信じられない話だけど、ノロウイルスの感染拡大の理由の一つとして、ノロウイルスに無頓着な人がいるということが言える。
変な話、普段から吐くのも吐かれるのも慣れていて、それが不快ではあっても恐怖ではない人は、ノロウイルスのことを知ろうとしない傾向にあるように思う。
症状が治まったら完治とみなしてしまい、保菌者という意識がないから、結果的にウイルスをばらまいてしまう。
そんな人を批判するほど私は偉くないが、関わり合いたくないと思ってしまう。
どんなに素敵な人だろうと。 以前の私は、他人に自分の価値観を押し付けてはいけないと思ってきた。
だから、他人との価値観の違いは、なるべく寛大に受け入れるようにし、どうしても受け入れられない場合は、その人から離れていった。
基本的には、好き嫌いを持たないように心掛けていた。
でも、タロウを産んでから私は変わっていった。
人付き合いが1対1ではなく、親子対親子になると、最初に書いた個人対個人の価値観の相違だけでなく、親としての考え方や、子供の性質の相違が生じてくる。
私の許容範囲は、やむを得ず狭くなった。
タロウが赤ちゃんの頃は、いろんなママとお付き合いしていた。
タロウが育てにくくても、私が調整役になることで、お付き合いを保つことができた。
調整役とは、タロウのために全て私が犠牲になるということだ。
いつも一杯一杯な私は、だんだん余裕がなくなっていった。
そんな時、タロウは初めてのひどい風邪を引いた。
最初の方に書いたが、タロウが風邪をひくと、自閉症特有の看病困難になり、私は日頃心に余裕もなく、嘔吐恐怖症もあり『最悪』になる。
人付き合いには、『風邪やウイルスに対する考え方』の一致を強く望む。