私達の居場所ってどこ?
父も母も、タロウのとんでもない姿を見ているのにも関わらず、とてもかわいがってくれてることが私の救いだ。
タロウにそれだけの魅力があるのだと思う。
でも、父も母もタロウをかわいがるだけで十分なわけで、親である私のような悩みはない。
タロウが普通の子供達が集まる場所をすごく拒絶するので、私は何気なく母に提案してみた。
障害を持つ子の集まりに参加するのはどうだろうと。
行動派の母は早速調べ、情報だけ私にくれた。
あとは私の判断だ。
タロウのことも、私の本心も、何だかよくわからなくなってきた。
タロウと私の居場所ってどこなんだろう。
皆同じよと言われるとむかつくから
私はチャレンジすることを放棄し、憂鬱に逃げてるのかもしれない。
憂鬱な時に動くのはつらいけど、実家にいる今こそ、何か改革しなくてはならないと思った。
例えば、タロウを保育所に預けたり、タロウに習い事をさせることを考えている。
自宅近辺で下調べなどの活動をすればいいだろうが、実家と自宅は日帰りするには遠い距離だ。
私一人でタロウを連れて行くのは困難だし、タロウを母に預けるにしても祖母の世話があるから容易ではない。
とりあえず、この話は置いておくことにしよう。
もっと現実的に、もっとすぐできることから行動しよう。
今一番何を優先させたいかというと、私の憂鬱を取り除くことだ。
だから、専門の小児科でタロウを診てもらい、タロウが何なのかをはっきりさせたいと思った。
私はタロウがス-パ-を走り回って荒らしたり、公園でのけ反って号泣することなどに、精神が壊されている。
そんなタロウに疑問だ。世間体も考えてしまう。
「何あの子?!」
「何あの親?!」
被害妄想なのか、本当に陰口を言われてるかはわからない。
ただ、恥ずかしくないように生きてきた私にとって、自分だけ努力してもどうにもならないことがつら過ぎる。
タロウを受け入れ、自信を持ちたい。
そんなに迷惑ですか
タロウがス-パ-で走り回るのが迷惑なのはわかってる。
だけど、公園も児童館も道路もぐずるか抱っこかのタロウが、一番幸せそうで楽しそうな顔をするス-パ-へ行くことをやめられない。
迷惑と思ってる人には本当に腹立たしい話だろうな。
比率はわからないが、
『迷惑』
『まぁまぁあらあら』
『ふ-ん(何とも思わず)』
と意見が分かれると思う。
昔は地域で自然と協力しあって子育てをしたと聞く。
今はそういう繋がりもなく、母親が孤独と闘い、大きな負担を背負っている場合が多いと思う。
ではちょっと開き直らせていただきましょう。
『迷惑』と思うのは自由だから、どうぞご勝手に。
私も勝手なこと言わせてもらうわ。
将来、今の子供達が支えていく日本で悠々とした老後生活を送りたいのなら、子供の悪気のない多少の迷惑に対して、少しは大目に見てくれてもいいんじゃない?
子育てしにくい世の中をつくればつくるほど、子供を生む人がさらに減ってしまうよ?
あなたは絶対に誰の手も借りずに老後を過ごせるの?
あなたがもし障害などの理由で迷惑をかける側になったら、ス-パ-にも行かずひきこもる?
あなたは誰にも迷惑をかけずに生きてきたの?
走り回るタロウをせっせと追い掛けていると、私を呼び止めたことを詫びながらも、おばさんがどうしても話したいという様子だった。
同じ位の孫がいるらしく、私達親子に強い親しみを感じ、微笑ましかったようだ。
私は急ぎながらも会話に応じた。
おばさんは別れる時も詫び続けてた。
タロウが空いてる陳列棚に横たわって困り果て、帰るふりして隠れていると、違うおばさんがタロウに話し掛けた。
「そこに乗っちゃだめね。降りようね。いちにのさん」
と、タロウの手を取りジャンプで降ろしてくれた。
タロウは素直だった
先日、実家の隣の奥様が母に「かわいかったわよ」と、ス-パ-で走り回るタロウのことを話してくれたそうだ。
「携帯をいじりながら歩く母親の後ろを、子供が追いかけるような親子よりいいわよ。
タロウくんはママを信頼してるからこそ安心して走っているのよ」
そう言ってくれたらしい。
私のまじめ過ぎる育児や、タロウの元気できかんぼう過ぎる態度に好感を持ってくれてる人がいるのはうれしく、ありがたい。
私は迷惑をかけてはならないということばかりに捕われ、タロウが走り回るたびにつらかった。
ちょっとだけ割り切って堂々としていてもいいかなぁ?